大好きなんです!


 「アンタ、順番待ちって言葉の意味、知らねぇのかい?」
 長身の男に見下ろされた、小太りの小男は、ぎりっと歯軋りしたかと思うと、大事そうに抱えていた紙袋から無造作に札束を掴み、待合室のテーブルの上にドンドンと積み上げていく。
「これで頼む! 急ぎなんじゃ! これだけ積めば、誰だってわしを最優先に……」
 ぱしゃ、という音がし、小男の視界が瞬時に暗転した。
「な、なんじゃ?」
「駄々を捏ねてウチの所長やコネコちゃんたちを困らせるヤツには容赦なくゴドーブレンドを奢る、これが俺のルールだぜ!」
 珈琲の滴る顔を拭ってからそんなルールなぞ知らんわ、と喚く男に、二杯目のゴドーブレンドを奢ろうとしたゴドーの腕を、小さな手が引き止めた。
「おじ様、それは勿体無いです!」
「お嬢ちゃん」
 ゴドーの手からそっとゴドーブレンドを取り上げた春美は、ここはわたくしにお任せください、と、呟き、小さな体で小男の前に立ちふさがった。
「なんじゃ、小娘。そこをどけ」
 ゴドーが小男を追い払おうとした瞬間、事務所の電話が鳴り響いた。
「クッ……」
 春美が気になるが電話に出ないわけにもいかず、渋々ゴドーはその場から離れた。
 その場に残ったのは、ゴドーがいなくなり、態度が急に大きくなった小男と、春美。
「そこをどきたまえよ」
「い、いいえっ、わ、わたくし、どきませんっ!」
 握った拳が、小さく震えている。
 こわくないはずが、ない。
「順番を守ってくださると、お約束してくださるまで、うごきませんっ!」
 春美はちゃんと知っていた。
 ゴドーの手を煩わせる、この男がちゃんと待合室で待ってくれていたなら、ゴドーはさっさと自分の仕事をすることが出来る。
 そうすれば、みんな揃って夕食がとれるし、事務所に詰めっぱなしの所長とゴドーが自宅に帰れるのだ、と。
「お願いです」
「ふん? なぜそんなに必死なのかね?」
「そっ、それは……」
 問われて初めて、なぜだろう? と春美は考えた。
 理由なんて自分でもよく解らないけど、一つだけはっきりしていることがある。
「それは……真宵様も、なるほどくんも、ゴドーのおじ様も、大好きだからですっ!」
 その答えに、小男は馬鹿にしたような笑声を上げた。
「お嬢ちゃん、そんなくだらないモノじゃ世の中渡っていけないんじゃぞ! 世の中、金じゃ!」
 その、あんまりな返答に、春美の肩がひくっと震えた。
「そうじゃの、アンタくらい上玉なら……ふむ、一儲けできるかもしれんの」
 全身を嘗め回すような視線、ぶつぶつと金勘定をする唇が、なんとも厭らしい。
「アンタ、名前は? こっちへおいで。お金をあげよう」
 いやいや、と首を横に振る春美の肩に太く短い指がかかる。そのまま引き寄せられ、春美の顔が真っ青になる。
「い、いやです……」
「すぐに嫌じゃなくなるさ……ほら、ほらこれでどうじゃ?」

 そんな春美と男のやり取りは、それぞれ仕事を片付けたゴドーと真宵の耳にも入った。
「最低!」
「ゴドーブレンド、奢っちゃうぜ!」
 バシン、パシャ、という音が同時にした。
 眼を丸くする春美の目の前で、小男の頬には鮮やかな紅葉が描かれ、頭からは茶色い液体が滴っている。
 憤激した小男が、春美に掴みかかろうとするのを、ゴドーが瞬時に抱き上げて回避する。
「ちょっと、はみちゃんに手を出すなんて卑怯でしょ!」
 真宵が二発目をお見舞いしようと振り上げた手は、しかし、振り下ろされることはなかった。
「真宵ちゃん、こんなヤツを二度もぶっ叩くことはないよ。僕が始末するから」
「クッ、ようやく所長のお出ましかい」
 成歩堂はテーブルに積み上げられていた札束を紙袋に戻し、小男に押し付けた。
「さて、どの容疑が一番いいでしょうね」
「な、なんじゃと?」
「解りやすく言いましょうか。まず今。春美ちゃんを無理矢理働かせようとしましたね? いや、春美ちゃんを誘拐しようとした、もしくは淫らなことをしようとした、違いますか?」
「ち、ちが……! だいたい、どこにそんな証拠があるんじゃ!」
「証拠? 春美ちゃんはこんなにも怖がって泣いています。それに、この二人の証言もあります。さあ、言い逃れはできませんよ!」
 腰に手を当て、法廷で見せる勝気な視線を小男に向けた成歩堂は、止めとばかりに、スーツのポケットに入れていた書類を小男に見せた。
「若しくはこっちでもいいんですけど、どちらがお好みですか?」

 小男が泡を食って逃げ出した後、成歩堂は本当に事務所を閉めてしまった。
「いいのかい?」
「はい。せっかく春美ちゃんが追い払ってくれたんですから、久しぶりに四人でゆっくり夕食を食べに行きましょう!」
 まだゴドーの首に齧り付いたままだった春美が、ぱっと嬉しそうな顔をした。
「勿論、なるほどくんの奢りだよね?」
「え」
 だらだらと冷や汗を垂らす成歩堂の視界に、あるものが映りこんだ。
 春美が、ぎゅっと握り締めているモノである。
「あの、ゴドーさん……春美ちゃんが持ってるモノって……」

 クッ、とゴドーが笑った。
 まあ、と驚く春美とやったねはみちゃん、と、笑う真宵。
 その小さな手が握り締めていたのは、さっきの男に無理矢理握らされた、札束。
「わたくしが、これで大好きな皆様にごちそういたします!」
 成歩堂法律事務所に、高らかな春美の宣言が響き渡った。


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